国家はその都度、より好ましい選択を

 今以て新型コロナ・ウィルスの流行で世界的にパニックに成っています。が、考えれば、意外と日本の急速蔓延が欧州諸国より遅いかは、自明の理です。日本人は、接触を介する挨拶を本来しませんし、国家が注意喚起をすると大半の国民が遵守する民族だからです。

 アメリカやヨーロッパの諸国の様に、自己実現を制限する事を悪とする道徳は、日本には馴染みません。自由に関する捉え方が、そもそも違います。日本人は「法的な制限の中で、個人の自由がある。」と考え、欧米人特にアメリカ人は「自分が自由だと考えた自己の判断が自由であり、法律は自己自体に従うべきものだ。」という発想です。社会への不満に置いて、デモを全ての民主主義国家では、法的に保障されていますが、器物破損や強奪に発展するのは日本以外の国家です。この考えは、「自分が一番大事」と考えるか、「国家自体が何より大事」と考えるかでその民主主義の捉え方が、大きく変わります。「決められない国=日本」ですから、シャキッとすべきですが、「気ままな国=欧米諸国」であると、パンデミックは回避不可能な現実でしょう。個々人の自由も法律上の制限を受けると言う当然の事を個々人の都合や思いで勝手な解釈をしている自体では無い事も飲み込めて居ないのでしょう。実際この期に及んでもアジア系の欧州米国在住者に言い掛かりを付け排斥する住人が多々居る事が示していると言えます。

 オリンピックの開催なども果たして自国民として本当に心から望んでいた事でしょうか。私はスポーツに関心が無いのでプロ化した野球・サッカー・バレーボール・バスケットボール等の開催延期や相撲の無観客試合等、聴衆の嘆きが実感出来ません。しかし例年当たり前に行われて来た事柄を無くされる悲劇については大変気の毒だと思います。しかし実態はスポーツ観戦どころでは無いのですから、この歴史的事実を踏まえるべきではないでしょうか。その都度、より好ましい選択(ベストは無理です)をするべきであり、国家はそれなりの意思をもって決定事項を粛々と行えば良いのです。力強い選択と行使は国民を鼓舞しますから。しかし復興にどれだけの犠牲が払われるのでしょうか。想像が付きません。

緑内障・白内障・黄斑変性症から風邪・花粉症・ぜんそくまで、兵庫県川西市の眼科・アレルギー科藤原医院へ!

この投稿へのトラックバック

トラックバックはありません。

トラックバック URL