「何とかなる」という言葉
前回のエゲツナイ ブログ内容に対し、今回も同調される患者さんが多く見られました。「その通りです。いい加減な高齢者を見ると腹が立ちます。」とか「自分達が稼いだ金で治療薬をきちんと飲んで少しでも社会に迷惑をかけない様な生き方をすべきなのに、治療も内服もいい加減で適当な高齢者は、通院治療をやめればいい。自分で生き方を決めるべきであり、いい大人なんだからそんな単純な決断なんてできてて当然。」とか「これまであまりに人任せだっただけで、まともな大人が年齢に関係なく沢山溢れているからつまらない国になるのだ。」等という反響を診察室で直接頂きます。
残念ながら、私は高齢者に限定しての発言ではない事、再度ご認識下さい。例えば大阪都構想破断等は最たる先送りと臭い物に蓋をすると言えませんでしょうか。大阪が立ち直るかなり際どい状況を見逃した様に思います。大阪人は「日本で2番目の地」と考えているヒトが今もって多いですが、既に人口など諸々の条件で「神奈川」、特に「横浜」に完全に引き離されています。その事実を認めず3位の都市である事も危機にある事をきちんと認識すべきです。自分が将来に何を残せるのか、名を残さずとも大義を成す一人として大勢に埋没しても志を示し周囲に貢献する気概をこの国は取り戻すべき状況であり、既に瀕死の状態から死亡状態と考えるべきかも知れません。
「何とかなる」とは、常日頃から何とかする事に挑み続けた努力する人々が窮地に追い込まれた時に口にする事が許される、名言ではないでしょうか。「何ともしていない」ヒトが「何とかなる」事は、幻ではないでしょうか。またまたエゲツナイ事を書いてしまいました。
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